かつて札幌市内にあったスノーボードプロショップ・バナナクラブで一時代を共に過ごしたという接点を持つ二人。
現在は "プロスノーボーダー" と "飲食店経営者" という別々の道を歩む二人が、当時のバナナクラブでの出会いや、小川宏氏が代表を務める株式会社SMILE SOLの経営方針などについて語る。
二人が出会うきっかけとなったスノーボードプロショップ・バナナクラブ

まず小川宏さんのこと今まで通りの呼び方でもいいですか?

いいですよ!

俺(小川のことを)「げんた」って呼んでるんですよ!(笑)

そうですね!バナナクラブで「げんた」って呼ばれてました!(笑)

昔「池中玄太80キロ」って番組があって、当時の「池中玄太」に似てるって理由だけで「げんた」って呼んでたんだけど、思い出したら俺とげんたが会ったのが...、23の時?

そうですね、僕が22とかの時なんで。

今何歳になったの?

今41歳になったんで20年くらい前です。

20年くらい前か、そうか。
当時俺バナナクラブっていうスノーボードショップのライダーやってて、その時のアルバイトでげんたが来たのが出会ったきっかけなんだけど、なんでバナナクラブというスノーボードショップでアルバイトしようと思ったの?

それは結構話せば長いんですけど...。

え!?そこも長いの?(笑)

まず、僕も克師さんと地元が近いんですよ。それで同じ高校で、克師さんの名前は知っていたんですよ。 それで当時はスノーボードブームだったじゃないですか?

当時はね。うん。

で、僕はプロスノーボーダーになりたかったんですよ。憧れてたんですよ実は。

一回も聞いたことなかったね!(笑)
顔も知ってた?

顔も知ってましたよ!よくノーマターボード観てて、札幌出てくるきっかけになったのもプロスノーボーダーになりたいという目的があったんですよ。

ピリカ(今金町にあるスキー場)で滑ってたの?

ピリカでめちゃくちゃ滑ってましたから!僕その当時バイト二個くらい掛け持ちしてたんですけど。新聞配達と、せたな町にツルヤってホームセンターがあったんですよ。そこでレジ打ちをやっててお金貯めて、ほぼ滑りに行ったりギア買ったりとかですね。

全然知らなかった。でも、それしかバイトないよね?

はい!(笑)
で、初めて買った板がNitroのファビアン・ローラーモデル。

シグネチャーモデル!(笑)

ビッグエアーで優勝してましたよね?

そうそう!バックフリップしながら帽子取るやつね。

それでかっこいいなぁと思って石川スポーツ行ったらシグネチャーモデルがあって買いました。

それが1本目?

はい、1本目ですね!

すごいねぇ、いきなりファビアン・ローラーってねぇ。

はい、ミーハーだったんで!(笑)

当時のTOYOTA BIG AIRの第一回目のチャンピオンじゃない?多分。

そうですよね。そのくらいですよね。

あ、スノーボード頑張ってやってたんだね。

で、札幌出て来て、調理専門学校で出て来たんですけど、その理由も安易で、ルスツとかのホテルとかで働いたら毎日滑れるんじゃないかと思って来たんですけど、卒業する間際に先生に「そんなに甘くねぇよ」って言われて。
それで、そこからニュージーランドに行きたいなと思って卒業して、岐阜の工場に働きに行ったんですよ三ヶ月間くらい。そこでお金貯めて、ニュージーランド行ったんですよ。

ワナカ?クイーンズタウン?

メスベンにいました!

メスベンにいたんだ!なんでメスベンになったんだろうね?
当時はフリースタイルって考えたらクイーンズタウンかワナカだったのさ。


あ、そうだったんですね。

多分キッカーとかハーフパイプとかあるのがそこらへんのゲレンデ。メスベンはあんまり(セクションが)何もないよね、ただ山っていう。

山はマウントハットでしたっけ?

そうだねマウントハットだね。キッカーとかもあまりないような?

何個かあったんですけど、その時は海外初めてだったんですっげーなっていう。(笑)
で、そこでグッチさんとかに会ったんですよ!

おおー!LIBTECH!

そして札幌に住んでましたよね?グッチさんと出会って札幌戻って来てからもちょっと一緒にいたんですよ。

TRUST 6 MEDIAだ。

あっ、そうですそうです!

えっ、高校時代はやってないの?

高校時代から始めたんですよ。

あ、高校時代のバイトから今の経緯だったんだ?

そうです!ニュージーランドに行って(プロには)なれないなと思って帰ってきました!(笑)

早かったな~!(笑)
俺が初めてニュージーランド行ったのもそのくらいだったわ。20歳くらいにワナカってとこ行って、俺はそっから20年くらい毎年行ってたんだけど、まぁ俺は「絶対プロになりたい」っていう意志があったからね。

僕は諦め早かったですね!(笑)

いや、でも良かったじゃん!

それで帰ってきて「スノーボードショップで働きたいなぁ」と。まぁ何をやったらいいかわからなかったので。しかもショップ定員ってモテたじゃないですか?スノーボードやってるとか。

うんうん。

で、バナナクラブがACXかな?オープンするって行った時に願書送ったら、その時書類選考落とされたんですよ。

おお。なんで入ったの?

で、その後に僕の高校の先輩に「働きたいんだけどどうにかなんない?」って聞いたら、なんか今ちょうど人足りないって言ってたから聞いてみるわって言われて、そこで初めてバナナクラブの平岸店に入ったんですよ!それがバナナクラブ入ったきっかけです。2回目でやっと入れました!

コネ使って?使えるもの全部使って?(笑)

はい、コネ使って!(笑)

そうか~。で、スノーボードショップには何年いたの?

僕(バナナクラブが)無くなるまでいましたよ!平岸がまず無くなったじゃないですか?その後ACXになって、ACXが無くなるまでいましたよ。3年、4年くらいいましたね。

小川宏氏が起業したきっかけについて

当時さ、飲食やりたいみたいな話も言ってたよね?
バナナクラブ無くなったタイミングで始めたの?

いや、違いますね!その後に、ヒステリックグラマーの先輩に拾われて。「宏なんもやってないんでしょ?うち来ればいいじゃん!」ってなって。

アパレルやって?

でもそれは1年ですね。まぁ、ゆくゆくは飲食店やりたいって言ってたんですよその先輩に。で、ちょうど入るところが決まったんでちょうど1年ですかね。それで飲食やって。

でもその時飲食店入るって言った時は社員で入るの?バイトで入るの?

僕バイトで入ると思ってたんですけど、社員で入ってましたね!

それがどこのお店?

「あいよ」です。

でもなんかさ、一番最初そこに社員として入るのはいいんだけど、今こういう現状になるまでって結構なかなかハードルが高かったと思うし、どう言った経緯でこういう風になったのか俺にはちょっと理解不可能というか。社員からここまでどういう風になっていったの?

まず人がいなかったんで店長になったんですよ。

社員になっていきなり店長?

はい。まぁ運が良かったんでしょうね!(笑)

雰囲気だけで店長になったの?(笑)

はい!(笑)雰囲気だけで店長になって、その後なんか会社が結構店舗数を増やしてくれたんですよ。で、それがまた人がいなくて統括みたいになったんですよ。

もういきなり?

結構いきなりでしたね。それで一応No.2とかNo.3がいたんですけど、これもたまたま運よくみんな辞めていったんですよね。

おぉ。運がいいのかわかんないけどね!(笑)

そしたら僕しかいなくなったんですよね。それでNo.2やることになって、僕もちょっとやっぱりこんなにできるもんなんだって、勘違いした部分があるんですよ。

会社に入ってからそのNo.2までいくのに何年?

何年ですかね。2年ぐらい?

2年で!?やるなぁ〜。

そして僕も若かったんで、当時の社長に「僕、独立しますね」って言ったんですよ。

2年で?(笑)

はい。(笑)
「辞めます」って3回くらい言ったんですよ。そしたら3回目では社長も「こいつ本当に独立したいんだなぁ」と思ってくれたのかわからないんですけど「あいよ」を売ってくれると。

なんでそれ売る方向になったんだろうね?(笑)

社長もいい人だったと思うんですよね!で、それからですね。

だって、「あいよ」って結構何店舗かあるじゃん?

そうですね。その時は2店舗だったかな?そしてちょうど「あいよ すすきの店」を売ってもらって、しかも分割で。

金額の方よろしいですか?(笑)

金額はちょっと覚えてないんですよ!(笑)
本当に覚えてなくて、分割だったけど覚えてないですね。それはもう払い終わってますけど。多分5、6年くらい払ってたのかな?それが始まりですね。

結構な金額だよね?

はい、結構ですね。

そうか~。でも俺のイメージだったら「あいよ 」っていろんな場所に結構あるイメージなんだけど、それはげんたになってから増えてったの?

「あいよ 」を広めてたのは元僕がいたところと、うちもあって。「あいよ 」広めているのは僕じゃなくてこっち側(元)の方です。うちは3店舗しかなかったんで。

そうか。なんか南郷の方とかにもあるよね。

あれは会社違うんですよ。

同じ「あいよ 」なのに?あ、なるほどね。

で、今年(2021年)の8月にうちの「あいよ 」は全部「さぶろう」に変わりました。

あ、名前変わったんだ?

名前変えました。あっ、でも全然円満ですよ?(笑)

じゃあ今やってるのは「さぶろう」3店舗?

「さぶろう」とか後は「てっちゃん」ですね。

今回オープンの?

そうですね!「てっちゃん」も4店舗あるんですけど。琴似、円山クラス、時計台と、ここが4店舗目。

じゃあ全部で今7店舗やってるの?

今はいろんな業態あって14店舗です!

すごいね!(笑)

細々色々あるんですよ。あとラーメン屋さんの「MEN-EIJI」をフランチャイズで。テレビ塔の下と、南2西5の2店舗ですね。そこは先月オープンしたばっかりなんですけど。

株式会社SMILE SOLの経営方針

一回すすきので中華のでかい店もやった時あったよね?

あっ、あの〜失敗したやつですね?(笑)

そうそうそう!(笑)

あれ会社が潰れそうになったやつですね!(笑)

あれ潰れそうになった?(笑)

会社の利益を全部持っていかれましたね!一回も黒字にならなかったですね!

デカかったもんね!家賃やばかったしょ?

家賃やばいし、人件費やばいし。

家賃でいくらくらいするの?

あそこ400万くらいしましたからね!

月!?

全部込みで、400万くらいです。家賃と光熱費と管理費。あれはもう本当にやばかったですね!

そういうやばい時ってどうするの?

本当にどうしようもなかったっす。(笑)

どのくらいやってたの?

あれは2年ですね。ちょうど契約が2年だったんで、すっぱり辞めようと。

2年間はやらなきゃいけない状況?

やらなきゃいけなかったんですよ。

うわ〜、こっわ。

ずっと赤でしたね。ちょうど僕の結婚式もあって、結婚式のお金とかも全部つぎ込みましたね。

怖いねー。

それから僕は大箱はやらないって決めました。

いや〜、でもそっから耐えて今に行くまでってなかなかハードルの高い大変なこととかあったと思うんだけど、自分でやっぱりこういう飲食業をやってて、自分の中でもうこれだけはやらない、こういうのはやっておいた方が良いっていうのはある?

さっきも言ったんですけどやらないのは、まず大箱はやらない、損益分岐点が高いのはやらない、あとオシャレなものもやらない。

もっと窓口を広げる?

そうです。まぁ色々失敗していく中で最近決まったうちの会社の理念にもあるんですけど、「ビッグマーケットでNo.1シェアを取ろう」っていう方向に変えたんですよ。今まではこれ良いねとか、これ流行ってるねとかっていうものはやってたんですけど、でもそうじゃなくて。
だから、今回も焼き鳥って居酒屋行ってみんな頼むじゃないですか?もうこれはビッグマーケットじゃないですか?

うん、そうだね。

そういうオシャレなものとか流行りものじゃなくて、みんなが絶対に頼みたいもののお店をやろうと。

逆にこれいけるなっていうのは何かある?これで乗ったなみたいなの。

「てっちゃん」ブランドはいけるなと思ってるんですよ。本当にもう串カツと焼き鳥があって、絶対頼むと思うんですよね。

頼むね。

で、刺身があって。今回ブラッシュアップされてて、本当はてっちゃん串揚げだけだったんですよ。でも串揚げだけだったらまだビッグじゃないよなということで焼き鳥もおいたんですよ。で、刺身もおいて、おでんもあって、点心もあるんですよ。まぁ、なんでもあるんですよね。

色々手出したね。

そこでちょっとブラッシュアップして、この「てっちゃん」をフランチャイズでやってくれる人がいるなっていうところで、これは広げていきたいっていうブランドですね。

でも今回はやっぱりコロナで大変だったんじゃない?

いや〜、大変でしたね。

結構従業員とかも抱えてるからその分のやっぱり雇用とかのことも考えたらね。え、お金とかは休んでる間は支払えないでしょ?

でも支払いましたよ。それは。

休んでる間の分は有給的な?

それは給料下げないで普通に払ってました。

そうなんだ〜。社員にならせてもらっても良いですか?(笑)

働く時間長いんでちょっと。(笑)

おじさんにはなかなかハードな時間帯だよね!(笑)
朝は強いけど夜は弱いからね。俺、昔から。

夜長いんですよ。

普段はげんたの仕事っていうのはどんな事してるの?まぁ社長業だと思うんだけど。

そうですね。財務、あとは現場から上がってくる決断をする事くらいですかね、あとミーティング。まぁNo.2がいるんで、営業管理とか人事とか売上とかはやってもらってますね。

そうか〜。今みたいな仕事でどんどんお店広げて行くのって勇気いると思うんだけど、そういう部分でここは今回広げるために頑張るぞっていうポイントはある?だって成功するかしないかわからないじゃない?

うちの会社の成功方法っていうのはやっぱり30坪以内で、家賃が売上の10%くらい、あとはお客様が週2から週3これるお店作り。単価にもよると思うんですけど、2,500円以内の単価で週2から週3回来てくれるようなお店っていうのを、うちの成功パッケージとしては掲げてますね。

なんか俺の知ってるげんたと違うんだけど。(笑)
今じゃ経営方針を語るようになっちゃってるもんね。

そうですね!(笑)

そうか~、じゃああの時のげんたはもういないんだね?

いや、いますね~。(笑)
飲み会とかは昔とあんま変わんないですね!

でもやっぱり自分の成功方じゃないけど、なんとかして自分の城を何個か作って成功してる部分では本当になんか俺にはできなかった事だし、目指してもいなかったし、そういう部分では本当にげんたすごいなぁと思っちゃう。

(スノーボードは)すぐ諦めましたけどね!(笑)

でも、おかげで自分のいい道が開けたでしょ?
そういう部分では良かったんじゃないですかね。

バナナクラブで学んだことが結構役立ってますけどね。

何役立ったの?

やっぱりお客さん第一とか言われてたんで、お客さんを喜ばせないとダメだよねっていう部分とかではやっぱり。スクールとかあったじゃないですか?

うんうん。スノーボードのね?

はい。あとサーフィンとか。あの黄色いハイエースで迎えに行って、よく「車の中から喜ばせないとダメだよ」って先輩方に言われてて。
あとは人間関係ですか?先輩・後輩の立ち位置とか、乾杯の仕方とか。

乾杯の仕方なんてあったの?(笑)

ありました、ありました!それは社長がすごかったですね。
まず右手でグラスを持っちゃいけないとか、先輩より下で乾杯するとか、上座とか。「(お酒が)入ってなかったらお前ら注げよ」とか。

左手で飲んだらダメだってすげぇ〜言われたね。

ダイビングの人たちとキャンプ行った時に、お客さんに対しての振る舞い方とかはバナナクラブで学びましたよ。体育会系の。(笑)

ゴリゴリの体育会系だったよね!(笑)

あれが良いのか悪いのかって言われたら今の時代やばいですけど。でも、それができていたから辞めた後もバナナクラブの先輩方とも仲良くなれたっていう事はありましたね!

そうか〜、すごいなぁ。なんか自分の生きるために必死すぎて、俺の場合は。自分がどういう風にうまくなっていくとか、どういう風にプロモーションするかしか考えてこなかったから。

ライダーでしたもんね!僕らスポンサー側でしたもん。

でも、なんか宏のサクセスストーリーというか、自分がのし上がるじゃないんだけど、自分がいい方向に行った道っていうのが見えたような気がするよね。

本当ですか?

いや、本当に!いい話聞けたと思います。

ありがとうございます!
松井 克師 Profile.

プロスノーボーダー
SALOMON、OAKLEY、SUUNTO、ムラサキスポーツ、ガリウムWAX、Goldwin、Oren’ge、ASHRAM、un-fin
1995年 JSBA公認 日本アマチュアランキング2位
アマチュアランキング2位でプロの大会に出る権利をもらい、翌年のプロ戦で9位
1996年 JSBA公認 プロ昇格
1997年 TRUST6MEDIA スノーボードムービー設立
世界的に認めらられる北海道の雪、そこでの映像制作、出演をし続ける
2002〜2012年 北海道テレビ(HTB) NO MATTER BOARD にMCとして出演
10年間番組MCとして、日本や海外での撮影、出演
2014年 ヨコノリ少年団設立
ヨコノリ少年団団長として、ヨコノリキッズの育成。冬はばんけいスキー場、ダイナスティスキー場、キャンモアスキー場、札幌国際スキー場でのレッスン。
夏は札幌キングスやb.SAPなどで人工芝でスノーボードができるジャンプレッスンを行っている。
小川宏 Profile.

1980年生まれ。せたな町出身。
2010年、株式会社スマイル ソル設立。
株式会社SMILE SOL