80年代後半から国内・海外でのアーティスト活動を続けるREGGAE DJ・PAPA Bと、上田理髪店・オーナー、そしてREGGAEバンドのベーシストとしても活動する上田和裕による対談。 長年シーンを牽引する2人が札幌の音楽シーンから、音楽とファッションカルチャーについて語る。
二人の出会いについて
REGGAEアーティストのPAPA Bです。
上田理髪店の上田です。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 いきなりだけど、HIP HOPとかREGGAEでどういう髪型をイメージしてたの?
自分がこの仕事を始めた時は、流行っているのが今みたいな短髪じゃなくて長めというか。 ドレッドじゃないですけどカリッとした感じじゃないスタイルが流行っていた時代でしたね。
時代でいうと90年代ぐらい?
そうですね。90年代後半ぐらいからこの仕事をしているので、理髪店というよりは美容室で髪を切るというイメージが強かったですね。
そうだよね!髪を伸ばすのが流行って「ロン毛」っていう言葉が出始めた時だよね。 割と黒人のファッションとかドレッドとかが普通の若者に浸透し始めた時期というか。 その頃は札幌にいたの?
そうですね。高校までは北見でそれからはずっと札幌にいます。
大阪にいた時間もあったじゃん?それはREGGAEを聞くようになってから?
大阪にもいましたね。5年ぐらいは札幌の床屋さんで働いてて。 ただバンドはずっと並行してやっていて、そのバンドの活動がツアーも決まって忙しくなっちゃって。
TRYBALでしょ?
そうです。TRYBALのバンドでツアーが決まった時に、正社員としては厳しいのでアルバイト的なフリーな働き方に変えたんです。一回それでフェードアウトして、そのタイミングで大阪行ったりして。大阪が日本の中でも1、2を争うレゲエタウンなので、床屋の仕事もしつつ大阪に住んでみたいという気持ちで、半年間ぐらいですけど行ってて。
その時は大阪のアーティストとはリンクできたの?
そうですね。やっぱりバンドマンなのでダンスホールの方よりバンド系の人とはすぐリンクできて、BAGDAD CAFE THE trench townとか急激に仲良くなって。
あ~!すごいな、いきなりそこいくの!
繋げてくれる人がいたので。
そっか。やっぱ1つ動くとそういう出会いとかあるよね。 自分の足で実際に行ってみるとか。 大阪は単身で行ったの?
そうですね。それで開けた部分はあります。
そっか~!そういえば前に言ってたよね? BAGDAD CAFEの人と友達で呼んだりしたりって。
そうなんですよ。そこがきっかけで繋がって後に札幌に呼んだりして。
あのメンバーをフルで呼ぶとなるとなかなかなビッグイベントになるよね!
大変でしたけど。 確かBESSIE HALLでやりましたね。
その時はJAPONICA BANDはもう結成してたの?
してました。GACHAとかメンバーを集めてJAPONICA BANDを結成して、1年ぐらいした時に大阪に行ったんですよね。その時は札幌の歌い手の人達からも「こんなバンドが出てくるのを待ってた!」って言われて。
インストバンドね!
最初の1年ぐらいはみんな誘ってくれるのでめちゃめちゃ忙しくて。 夏なんかは週2でLIVEしてましたね。
週2はすごいね!めっちゃ売れっ子だな~!
それを放置していきなり大阪行っちゃったんですけど。(笑)
それはみんなの同意のもとで行ってたの?
そうですね。さらなる上を目指すために修行じゃないですけど、半年ぐらい行ってきますって感じで。
色々落ち着いたタイミングで行ったのかと思ってたけどそういう感じなんだね~!
で、札幌に帰る時にやりたいことがあって、車で行っていたのでGACHAとドラムのKENJIROを乗せてちょっとずつ北上しながら全国ツアー的な感じで帰るっていう。名古屋に行ったり、横浜に行ったりしたんですけど。その時は横浜にKOHKIとかKAAGOとかがいたのでリンクしたり。
それで帰ってきてJAPONICA BANDの活動を再開したの?
そうですね。で、ボンさん(PAPA B)との出会いなんですけど、まだ面識がなくて本当に札幌に住んでいるのかどうかもわからない感じの頃で…。
あ~、その時は結構横浜にいるイメージがあったのかな?
JAPONICA BANDの練習でみんな集まって車で移動している時に、GACHAが「後ろ走ってるのPAPA Bじゃないですか!?」って言い出して。(笑)
マジで!GACHAすごいな!(笑)
その頃はボンさんと面識もないんで挨拶しても「誰だ?」ってなると思って、とりあえずガンガンREGGAEかけて「俺たちはREGGAE好きだぞ!」アピールしたんですけど気づいてくれなくて。(笑)
(笑)
でもそのあとそんなに時間経たないうちにリンクさせてもらって。
あれ、最初に会ったのっていつだっけ?
最初はDJ NOBさんの紹介でリリースツアーのバックバンドをやらせてもらった時ですね。
MIGHTY CROWNで出したPAPA B名義では最後のアルバムのリリースツアーの時だね。 函館と札幌でやったやつね。色々あったね!
音楽とバーバーショップの繋がり
自分が20歳ぐらいの時は床屋の出番がなかったような気がするんですけど…。90年代にやってたRANKINさん(RANKIN TAXI)の「Taxi A Go Go!!」のビデオテープを入手して。
あっ、それ一緒に見たよね?上ちゃんの家で!(笑)
見ましたね。(笑) 自分が多分小学生か中学生ぐらいの時の映像だと思うんですけど。
そうだよ!あの番組はは割とレアで、確か関東圏ではやってなかったんだよね。東北とか北海道とか地域限定で放送してたはずだよ。
あ、そうなんですね。リアルタイムで見たことはなかったんですけど、貴重なテープを入手して見た時に、出演者みんなの髪型がかっこよくて。
みんなかっこよくしてたよね~。
あの時代の髪型は今のスタイルに近いものがあるなぁと思って。
確かに近いものあるね!
確かに昔に比べて世界的に進化はしていると思うんですけど、ニュアンスというかやりたいことは今の感じにすごい似てて。
今流行ってるフェードは昔のスタイルに似てる部分があるよね。
自分が仕事を始めた時に務めていたお店が床屋さんって感じのお店で、主におじいちゃんとか子供とかの髪を切っていたので、同世代の友達の髪を切るってことがあまりななくて。ただ、27歳ぐらいで初めて自分のお店を持ったんですけどその時ぐらいからCLUB系の友達もいっぱいきてくれるようになって。
なるほど。
そこで初めてみんなの要望を聞いてフェードみたいなことをやるようになって。お店も広かったので半分は仕切ってレコーディングもできるスタジオとして使ったりしてましたね。当時はGACHAがまだ大学生で駆け出しの時で、ボイスルームも作って札幌のREGGAE DEEJAYがたくさん集まって練習しながらDUB録りしてレコーディングのスキルを身につけてっていう、そういう場所でしたね。
それいいね~!床屋という名のREGGAEのアンテナショップみたいな役割もしてたんだね。 なんかジャマイカに近いものがあるよね!
そうかもしれないですね。
俺らがジャマイカに住んでた頃は、KILLAMANJAROのスタジオがホワイトホールっていうちょっとしたゲットーにあるんだけど、俺らもNG HEADとDUB録ったりしててさ。その横に床屋があって、みんなおしゃれは気にするからそこでコーンロウ巻いたりして。サウンドマンっぽい奴がきたらDUB録ったりして、みんなそこに集まるんだよね。
はいはい。
さっき話したけどオークランドって今GACHAが住んでるところに、ゲートを潜ったらちょっとしたショッピングモールがあって、サブウェイの上を上がっていくと床屋でさ。俺は当時大体自分で切ってたんだけど、一回試しに行ってみようと思って。バリカンでやってもらったんだけど日本の床屋さんみたいに綺麗にやってくれないからさ。
だけど向こうも実はめちゃめちゃテンパってたかもしれないですよね!日本人が来ること自体珍しいから、どうやって切ろうみたいな。
そうかもしれないね。結果むこうのHIP HOPの人たちって坊主で生え際をビシッと揃えるんだけど、それにされてさ。やっぱりそれにされた~みたいな。(笑)
あまり文句も言えないですしね。(笑) でも、日本人の感覚だと坊主で生え際をビシッと揃えるスタイルはびっくりしちゃうんですけど、今はそういうのが世界的に主流になってて。きちっとするのがかっこいいみたいな。一昔前ならギャグだったと思うんですけど今はそういうのが流行ってますね。
今はフェードでもラインつけたりしてるもんね?
今は基本的につけてますね。でも今のトレンドはそうなんですけど、アジア人の髪質には向いてないんで難しいんですよね。
フェードっていうのはもともとロサンゼルスから始まったものなの?
ん~、発祥はわからないですけど盛んなのは西海岸ですね。世界的にいろんなところで急に流行った感じはしますけど。
流行り始めてから随分経つんだろうけど全世界共通でムーブメントみたいな感じになってるよね。
札幌に住んでいる外国人の方もうちならフェードをうまくやってくれそうだってことで続々ときてくれてて。1日一人は外国人のお客さんがくるぐらいの感じですね。昨日もいつもきてくれるコンサドーレの外国人選手がきてくれてて。
自分としてはバーバーの役割として音楽と密接にやっていきたいなぁっていう風に思いますね。 髪切って、DUBも録れるみたいな。さっき話してて実は最初からやってたんだなぁと思って。それをこれからも続けていきたいなぁって。
REGGAEとかHIP HOPってコミュニティーっていうか、生活に密接しているところもあるからやりやすい音楽っていうところはあるよね。
週末なんかは自分世代のラッパーでN.C.B.BのDAI-HARD君がきてて、同じ時間にもっと若い世代のラップやってる子がきて、その子が挨拶してるのをみて理想的な光景というか。自分の店でそういうことが起きててすごい嬉しいですね。
なるほどね。上田理髪店はもろそういうお店になってるよね。 音楽やってる人達が集まるアンテナショップというか。実際この前も「FUJIYAMA」(国内のみならず世界で活躍する日本を代表するREGGAEサウンド)がきたら、俺もその時行ったけどそういう人達が集まるっていう。床屋さんと音楽が繋がるっていう面白い現象だよね。
そうですね。その時の感じは本当に理想的で、髪切る人は2、3人でその他の10人ぐらいは普通に喋ってるっていう。(笑)でも、その日は髪を切らずに普通に話しにくる感じでもいいっていう、仲間が気軽に立ち寄れるようなお店にしたいなぁって思いますね。
いいと思うよ。アーティストとかが髪切りにきてるのを若い子が見たら「すごい店だな~!」って思うわけじゃん?そういうのは青春の記憶として残るから、そういう子にとっては大人になったときに「こういうイケてる店が少年時代にあってさ!」みたいな。それが理髪店だったり服屋だったり。音楽と床屋って遠いように感じるけど、音楽とファッションスタイルはいつも共存してるからさ。
そこは密接に関わっていきたいと思いますね。
上ちゃんはもともとベーシストでバンドマンだから普通にやってればいずれはそうなる運命だったんだよね。
最近嬉しいのはCLUB系の人達だけじゃなくて、ロックというかバンド系の人達もたくさんきてくれてて。
上ちゃんプロデュースのロックバンドもあったりするからね。床屋を通して音楽の隔てがなくなるっていうのもまた面白いというか素晴らしいね!
嬉しいですね。
すごいすごい!上田理髪店はまだまだ広がっていきそうだね!
頑張ります。(笑)
楽しみにしてます。(笑)