OKUNO代表取締役社長・石原嘉孝氏とNORTH NAVIライター・SERINAによる対談
2021.12.13

北海道旭川市の買物公園にあるファッションビル・OKUNO、代表取締役社長・石原嘉孝氏とNORTH NAVIライター・SERINAによる対談

大人の女性向けアパレルブランドを中心に、ゴルフウェアブランド、スーツを扱うメンズアパレルブランドが揃うファッションビル・OKUNOの代表取締役社長・石原嘉孝氏に、NORTH NAVIライター・SERINAがインタビュー。石原嘉孝氏が、OKUNOの歴史から現代におけるファッション業界の変化、コロナ禍が与えた影響などについて語る。




OKUNOの歴史、ファッション業界の変化について

SERINA
SERINA

お時間いただきありがとうございます!私自身対談のインタビューは初で、至らないところがあると思いますが色々聞かせていただけたらと思いますので、本日はよろしくお願い致します!

石原嘉孝
石原

よろしくお願いします。

SERINA
SERINA

それでは早速ですが、石原社長のご出身について大阪府出身とお伺いしたのですが、北海道旭川を選び生きるという理由についてお聞きしたいです。

石原嘉孝
石原

僕は大阪の泉大津市生まれで、高校は堺市です。泉大津から南の方の岸和田にかけては「泉州」といわれ、まあ世界一ガラの悪いところです。言葉はひどいし、人間関係も品にかける独特の地域なんですよ。大阪でも泉大津出身というと、「お前えらいとこに生まれたんやなぁ」というような。
高校は名門といわれる三国丘高校、サッカー部出身です、僕の先輩にはJリーグを作った川淵三郎さんがいて、僕もサッカー部のキャプテンをやりました。

SERINA
SERINA

そうだったのですね!

石原嘉孝
石原

僕は北海道大学へ来て、そのまま居残って、たまたま今のこのOKUNOの社長をしています。このOKUNOは、昔「そうごデパート」という名でしたが、日本のファッションビルの草分けです。1958年に札幌の南2西2にオープンしました。PARCOよりも10数年以上前です。僕がOKUNOに入ったのは1969年です。
コムサ・デ・モード(COMME CA DU MODE)ってブランドは知ってますでしょ?

SERINA
SERINA

はい。知っています。

石原嘉孝
石原

ファッションをやる時に1番最初に教えてもらったのが、コムサ・デ・モードの社長・上田さんなんです。彼が大学卒業して三愛に入り、札幌の「そうごデパート」の三愛にいたのです。その頃から僕はファッションにかかわりましたから、日本のファッションの流れをずっとウォッチして来ました。「あの時こんなことあったよね」「誰々がこうだったよね」というのはほとんど頭の中に入っていますね。

SERINA
SERINA

では、北海道に来られたのは大学が理由ですか?

石原嘉孝
石原

えぇ。たまたま東北大学に行くか迷ったのですが、「東北に行くなら北海道行っちゃえ」ぐらいの感じでした。

SERINA
SERINA

それで北海道に来られたのですね。

石原嘉孝
石原

「そうごデパート(OKUNO)」の1店目は札幌で、その後釧路に作ることになったのですが、その頃に、僕はたまたまの縁で入社しました。そして釧路店に6、7年いましたが、その後旭川店ができて、僕は営業部長として旭川に来ました。というのがおおよそのキャリアです。

SERINA
SERINA

なるほど。ありがとうございます。

石原嘉孝
石原

最近のファッションはあまり得意ではないけど、日本のファッションの歴史は大半わかります。

SERINA
SERINA

なんか、時代は回ってるじゃないですけど、チェック柄が流行っていたりとか10年前、20年前のものが形を変えて流行りになって来たりしてることもあるじゃないですか。

石原嘉孝
石原

ついこの間、日経新聞の「私の履歴書」に山本耀司さんが一ヶ月間ずっと書いていたんだけれども、ファッションというのは1980年くらいまでものすごい意味があったのですよ。別の記事ですが、サンローランが1970年代に女性用のパンツスーツを作って発表したんです。それに大女優のカトリーヌ・ドヌーヴ等が賛同したんだけど、実はパリには2013年まで「女性はズボンを履いちゃいけない」という法律があったそうですよ。

SERINA
SERINA

えっ?そうだったんですか?

石原嘉孝
石原

その条例を最初に破ったのがサンローランのパンツスーツ。つまりその頃の「ファッション」は古い時代に対する革命をやりました。ヨーロッパでは、洋服は構築するものという考えで、古くは腰を締めコルセットでスカートを膨らませるようなこともしていたのに対し、「服はもっと着やすいものでなければいけない」ということで、古い考え方にファッションは盛んに挑戦していました。
日本人のワイズ(Y's)の山本耀司、イッセイ・ミヤケ、コム・デ・ギャルソン(COMME des GARÇONS)の川久保玲さん等は、ヨーロッパの伝統的服文化に対して、もっと人間の本来の自由を、自分を表現しやすいものを、といって世界の舞台に打って出ましたのがこれも1970年代です。
黒い服を誰でも普通に着ているけれど、それまで「黒」はお葬式の時に着る色だったのです。だから欧米人も最初は「黒い服なんかはとんでもない」という風だったのですが、それをファッションのど真ん中に持ってきたのが、川久保玲であり山本耀司なのです。

SERINA
SERINA

へぇ〜、それは知らなかったです!

石原嘉孝
石原

そういうものも含めて、とにかく時代を、発想を、生き様を変えて行くということについて、60年代から80年代くらいまで、ファッションは大きな役割を果たしました。面白かったですよね~。
その「革命期」の後は「世界のスタンダード」を追求する時代になり、「ユナイテッドアローズ(UNITED ARROWS)」などの、主役は「セレクトショップ」になります。その昔、セレクトショップ「ビームス(BEAMS)」を作ったのが重松理(しげまつ おさむ)さんですが、その後「UA」を作ります。そのUAの3年目、3店目を旭川へ僕が誘致しました。でもその頃はユナイテッドアローズといっても、ほとんどの人は「何屋さん?」って感じでしたよ。

SERINA
SERINA

石原社長がファッションや服に興味を持ち始めたのは大学の頃ですか?

石原嘉孝
石原

いや、僕は今でもあんまり洋服には興味ない方だと思うんですよね。

SERINA
SERINA

え!?そうなんですか?それは意外です。

石原嘉孝
石原

実は怠けててあまり洋服の勉強はしてないので、あまり知らないのです。本当のところ。どちらかというと中学、高校から科目でいうと社会とか国語とか、経済の問題とか哲学の問題とかそういう本を好んで読みましたが、ファッションの本はあんまり読まないできました。

SERINA
SERINA

じゃあ勉強とかは特にせず、石原社長のセンスじゃないですか?

石原嘉孝
石原

そのように問い詰められると困るなあ~。(笑)だから「ファッション好き」であったことはない。ファッションをやってる人は圧倒的に「ファッション好き」が多いと思うけれど、僕はあんまりファッション好きではないですね。だからまあ僕は大したことはないです。

SERINA
SERINA

そうなんですね!

石原嘉孝
石原

正直なところそんな感じですね。でも「アート」はかなり興味がありますから、洋服なんかもアートという捉え方をすれば近い関係、興味のある関係です。洋服というよりも面白いアートという方が自分はついつい惹かれちゃう。

SERINA
SERINA

なるほど、ファッションというよりもアートという捉え方ですね!

石原嘉孝
石原

ついこの間、友達と会おうと浅草に行ったのですが、1時間ほどあったので、上野で「蜷川実花展」をのぞいてきました、さすが演劇界の鬼才蜷川幸雄の娘の写真は色、アングル、発送、生き様等々ものすごい才能でした。
僕にとってアートはとても身近です。


北海道 旭川 OKUNO 石原嘉孝

コロナ禍が与えた影響

SERINA
SERINA

それでは次にコロナ下の現状において、政治の対応や地方経済の現状について石原社長はどのように感じられていますか?

石原嘉孝
石原

まず、新型コロナは2019年末に中国で発症して、雪まつりで北海道に広がり、その後あっという間に世界中にですよね。その時「これで俺の商売もいよいよ終わりだな」と思いました。大戦争が始まったら洋服屋ってきっとダメになる。みんなが戦争しに行くという時に誰が服など買うかと。
まさか自分達の時代にそんな戦争が始まるとは思ってもいなかったものですよね。忘れもしない、去年の3月1日にOKUNOも最初の休館をしたのですよ。その日は当社の新年度の初日であり、僕の誕生日なんですよ。(笑)鈴木知事が緊急事態宣言を出したでしょ。「俺の誕生日にかよ~」と。だから鮮明に覚えてます。(笑)

これは北海道だけれどもこれから必ず日本中に広がって行く。僕はその時に何をしようかと考えて、すぐに消毒用アルコールを手に入れようと思ったんですよ。

SERINA
SERINA

アルコールですか?

石原嘉孝
石原

ええ。でもどこに聞いてもすでにアルコールがないわけです。それで大阪で化学品の会社をやっているサッカー部の親しい後輩がいて、彼に電話したのですよ。「北海道は大変やみたいですなあ。アルコールで何をしはるんですか?」と。「あんたなら何とかなるやろ!」というヤリトリです。18Kl缶を7缶送ってもらって、そこら中をアルコール消毒。もうどこ行ったってアルコールが無い時ですから隣のビルに1缶あげました。その時に僕はそれにしてもとんでもない戦争が始まったと。

戦争が始まったということは、産業としては軽い方の産業は、ひとまず1度全滅するだろうと。ただし、この戦争は6ヶ月くらいで終わるだろうから、秋まで何とか荒波を泳ぎ切って向こう岸にたどり着いたやつは残れる。何としてもこの荒波を渡りきるという覚悟で色々なことやりましたが、結局秋になってもだめ、この春になってもだめ、まだまだコロナ戦争です。

僕は、これですべての価値が変わると考えました。
近代哲学はフランス人のデカルトからといわれますが、デカルトの有名な言葉に「我思う、故に我あり」があります。

SERINA
SERINA

はい、聞いたことあります。

石原嘉孝
石原

コギト・エルゴ・スム(Cogito,ergo sum)という有名なラテン語=「我思う、故に我あり」ですが。「存在とは?」といった時に、すべて不明の中で、それにしても「俺が今ここにいることだけは確かだよね」ということに出発点を置いたのです。

SERINA
SERINA

なるほど。

石原嘉孝
石原

コロナはこの「実在の原点」を壊してしまいました。「俺だけは確かだ」を壊したのです。「そうはいっても俺も罹っているかもしれない」という自分の存在すら信じられない状態。つまりデカルトがこれでぶっ飛んだって感じです。これが今この時代に起こっている「懐疑主義」の現象です。しかも自分を含めた人間に対する懐疑主義の全地球的蔓延です。
じゃあ懐疑主義の地球上でこれから起こることは何なのか。色々考えるているのだけども、去年も今年もまだ誰もがジタバタしながらですが。

SERINA
SERINA

みなさんそうですよね。

石原嘉孝
石原

どう変わり、どうすればいいのかという答えは、まだ出せないでしょうね。
さっきも言ったようにOKUNOは日本で最初のファッションビルですが、その「ファッションビルの役割」はほぼ今回で終わりました。コロナと、同時に少子高齢化という問題がありますから。
洋服が、時代を変える革命の役割が終わり、流行を追うよりは自分自身がどうするかという問題になった時に、必然的に「ファッションビルはもういいよね。」となりました。
「じゃあ何なのか?」の問いの回答として、いま一生懸命取り組んでいるのは、パン屋の開業です。

SERINA
SERINA

パン屋さんですか!?

石原嘉孝
石原

僕もファッションビルのオーナーからパン屋の親父になろうと思っています。
今考えてることは、「"もの"を売るから、"幸せ"を売る」への転換であり、幸せというものを前提としたものが形になるような、そういうビルにOKUNOを再構築していきたいと思っています。少しずつ手探りでやっていくしかありませんが、その出発点がパン屋です。
今はとても辛い時です。ビルには空きスペースもあれば、コロナでお客様のご来店も減ってしまいましたし。全国的に見ても洋服屋の大半は大苦戦です。大きい小さいはあるけども、どの会社も赤字が一年以上続いていますね。

これからの商業施設のあり方について

SERINA
SERINA

先程パン屋さんとか色々お話をお聞きしたのですが、これからの商業施設のあり方についてのお考えをお聞きしたいです。

石原嘉孝
石原

都心は危険なところなので近寄らない方がいいという形でこのまま行っちゃうのか、それとも人はどこかに集まって色んなものにならなきゃいけないとか。どっちになるのだろうなというのを仕掛けたり否定したりというものの中で、まだ今の段階では何がいいのかわからないですね。
ただ、僕の場合は旭川の中心地にビジネス拠点がありますから、何とかここに集まってもらうようにと考えます。
コロナ問題はウイルスと人間のこれからの付き合い方の問題です。これから人間はできるだけばらばらに生きていくことが幸せなのか、やはり人混みも楽しいことに変わりはないのか、見定めるにはもう少し時間がかかります。

同時にもう一つは、高齢化がものすごく進んできて、10代・20代の幸せと、40代の幸せ、60代から80代の幸せはそれぞれ違うと思います。人類史上で経験したことのない「元気な高齢者」がいっぱいの時代を迎えて、「大人の幸せ」の新しい形があると思っています。それを具体化するとどういうことなのか、まだどこにもその形はないようですが、OKUNOというメディアを通じて、一つのモデルを作りたいと思っています。

SERINA
SERINA

(インタビュー前に)植物の実験をされてると言ってたじゃないですか?とてもいいなぁと思っていて、私は仕事柄すごいパソコンとか携帯を触る仕事が多くて、すごく目が疲れるんですよ。
目が疲れたたら、自然的に緑が見たくなったりとか、自然に行きたいなと思うので、そういうカフェとか緑が多いところがあったら良いなと個人的に思っていました。

石原嘉孝
石原

そうですよね。北海道の場合、冬になったら緑が消えてモノクロの世界になってしまいます。今はこの時期は表に緑があるから良いのだけれど。北海道の中で室内常緑園をやれないかなと。うまく育つかどうか実験中なんです。

SERINA
SERINA

それも石原さんが考えてやってらっしゃるのですか?

石原嘉孝
石原

地元の大手の植物園の方と一緒にやっているのですが、彼らもまだやったことがないということで。ライトを天井にあと20個ぐらいつければLEDの光で植物がなんとか育つかなと。あとはガラスで仕切って、ある程度温度と湿度を保って、緑いっぱいにできるかという実験をしていこうと。

SERINA
SERINA

そういう追求心だったり、好奇心というのはどこから生まれてくるんですか?

石原嘉孝
石原

僕はやっぱり「戦い」なんだろうなと。ある程度闘っている時の方がモテますしね。

SERINA
SERINA

確かにそうですね。(笑)

石原嘉孝
石原

戦いをやめてボケ〜ッとなったら意味がなくなるというのか。人間はやっぱり活発に動いているものの方がいいので、やっぱり人生というのは「戦い」なんだろうなと。さっき「幸せ」という言葉を使ったんだけど、僕は長年「幸せ」という言葉を使ったことがなかったんです。自分の口から照れもなく「幸せ」という言葉を使えるようになったのはほんの7〜8年前ぐらいからかな?

SERINA
SERINA

へぇ〜!それまでは「幸せ」という言葉を使ってなかったんですね!

石原嘉孝
石原

最近SDGsとか、サスティナブルだとかって言うけれど、ある意味で人間本来は自然的なものに反逆する存在なんです。それでもなんとか自然に合わせていかないと、いよいよ地球がおかしくなってしまうところまで追い込まれてきています。この植物の実験についても意識的にやっていかなければならない。

SERINA
SERINA

アンテナを張り戦っているということですね。
最後の質問なんですけど、石原社長がビジネスや全てにおいて心掛けていることや大事にしていることがあればお聞きしたいです。

石原嘉孝
石原

全体にはできるだけ正直な方がやりやすいでしょうね。

SERINA
SERINA

そうですよね。私もそう思います

石原嘉孝
石原

嘘を言うと次も嘘を言わないといけないですからね。
現実の社会の中では、自分がその中にいる時に本質を見つけるのは大変難しい。今起こっていることが何であり、将来どうなるっていうことを見抜くことは難しいけども、僕はそれを何とかして自分の目で確かめたい。だから情報ももちろん聞くし、やっぱり最後は自分がそれをどう判断し切るか。同時にある程度判断し切るとそれを行動に移せる。
それに向けてできるだけたくさんの人の反対の意見も聞く。

SERINA
SERINA

反対の意見を聞くというのはどういうことですか?

石原嘉孝
石原

大体の人は本当にそれがいいものだとしても、自分と反対の意見にはケチをつけて自分を守ろうとする。僕は今までの経験からそれをやめて「この人のいいものは何なのか?」というところをまず見つける。欠点はみんなたくさん持っているからそれを批判してももしょうがない。他人のいいところをどう見つけるかということが大事だということですね。

SERINA
SERINA

なるほど。

石原嘉孝
石原

あとは人生に必要なのは、できるだけすごいものを経験すること。どれだけいいものをたくさん経験するかということが人生を豊かにするのでは、と思っています。

SERINA
SERINA

それではなるべくいいものを経験した方がいいってことですね。

石原嘉孝
石原

あと、それこそ去年の5月ぐらいになって突如僕の頭の中に出てきたフレーズが「北海道に生きる」です。僕は北大に入学する時に札幌にきて、もともと大阪生まれで北海道にはマイナスなイメージがずっとあったんだけど、去年の5月ぐらいに突然「北海道に生きる」という言葉が頭に浮かんできました。東京や大阪に行った時も「北海道ってあんまり言いたくないなぁ」っていうのがあったんですが、今は堂々と言いきってますよ。
ようやくこの年齢になって。「北海道に生きる石原」でございます。

SERINA
SERINA

ありがとうございました!




石原 嘉孝 Profile.

石原 嘉孝 OKUNO 旭川

OKUNO 公式ホームページ
https://www.okuno-asahikawa.com/

大阪府泉大津市生まれ
泉大津市立旭小学校、同第一中学校で歴史や文学系に目覚める
大阪府立三国ヶ丘高校、サッカー部主将
北海道大学、(教養部自治会委員長)、同教育学部卒業
株式会社弘報社(広告代理店・札幌本社)
株式会社グリーンプロ(広告代理店)経営
株式会社そうご(現オクノ)入社 現在は代表取締役社長

SERINA Profile.

SERINA NORTH NAVI

Instagram
https://www.instagram.com/seristagram.8/
Twitter
https://twitter.com/serina_888

ライバー(配信者)としての活動経験もあり、配信ルームを完備したオフィスを札幌と旭川で展開する、ライブ配信プロダクションの、「LIVERS OFFICE エクスプロレ」の戦略、人事を担当。
一人一人の個性を活かして、活躍できるように、日々奮闘している。
また、はちみつの奥深さを学び、心を打たれ、手を汚さずに食べられるハニースティック「#8HONEY(エイトハニー)」を考案し、発売する。
いつでも食べられる便利さと美容、健康、料理にも。”北海道産純粋はちみつ”がポイント。
好奇心旺盛で知識欲、経験欲のかたまり。

野生的な直感を大切にして生きている。
 

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